平家伝承の地、御崎と「百手の儀式」のご案内
2011年 01月 24日

「平家物語」は誰もが知っているこの有名な文句で始まり、
平家一門の公達や武者たちが、壇ノ浦の戦いで力尽き、
あるいは源氏に生け捕られるなどし、栄華を極めた平家の悲しい末路が描かれています。
物語中では命を絶ったとされる平家の武将たちが、
落ち延びて人里離れた山間の僻地や孤島で細々と暮らしていたといわれる
平家落人伝説の残る集落は全国各地にあります。
香美町香住区にも平家伝承の地が5ヶ所あり、
中でも香住区余部の御崎地区は、
壇ノ浦の戦いで敗れた門脇宰相平中納言教盛
(かどわきさいしょうへいちゅうなごんのりもり=平教盛、平清盛の異母弟)を大将とし、
伊賀平内左衛門家長、矢引六郎右衛門らが同じ船に乗り込み、遠く壱岐、対馬方面に逃れようとしたところ、日本海を漂流し香住の近くに流れ着き、磯づたいに御崎まで落ち延び、土着したといわれています。
当地にはそれを裏付けるかのように門脇家、矢引家が現存しここで生活されています。
そして現在も伝承されている平家にまつわる行事の一つ、
「百手(ももて)の儀式」が毎年1月28日(午後3時半頃から)に行われています。
氏神の平内神社で、門脇、伊賀、矢引の武将にふんした3人の少年が、
境内の御神木に源氏に見立て掲げた的めがけて、
地区内で採取した竹で作った弓矢で101本の矢を射るもので、
歩射という弓の神事から始められたといわれています。
平家の無念を晴らすとともに、士気を鼓舞し平家再興を夢見て受け継がれてきた伝統行事です。
by minatokan
| 2011-01-24 09:21
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